第四回 全国一斉 鞆の浦検定
呼称300年の歴史『日東第一形勝』【山紫水明處】
問題用紙<全50門>
http://uratami.web.fc2.com/tomoken2011/tomoken2011.pdf
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【パソコンで受検】 |
第四回 全国一斉 鞆の浦検定
◎次の文章の【 】内にあてはまる適当な語句をページ最後の三択から当てはめ、文章を完成させなさい。
<鞆の浦・寺社の歴史> 時は遡り、延久二(1175)年春、【問7】来訪。【問1】の境内へお堂(【問8】)を建立し、松の木を植え、「天に伸びれば平家は栄え、地を這えば平家は滅ぶ」と言い残す。その後、松は地を這うように伸びていった。 このお堂が【問8】の始まりである。(※現在この松は枯れている) 文永十(1273)年には、【問9】が【問6】に宿泊し、金宝寺(【問10】)を建立する。【問6】という寺号は「【問9】によるもの」という説(備陽六郡志/1763年)もある。 南北朝時代(1246〜1466)になると、瀬戸内海の要港であった鞆の浦は戦火に吞まれることとなる。1336年、【問8】にて北朝・光厳上皇からの「院宣」を受取った【問11】による鞆合戦(1339〜1342)では、【問1】と【問8】が炎上、焼失する。 <朝鮮通信使・来訪の歴史>
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<【問6】客殿・対潮楼から見た太陽と月の関係> 秋分の日と春分の日には太陽は【問27】から昇る。
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<保命酒の歴史>
<【問6】の歴史> 延享五(1748)年、福山藩主・阿部【問36】の時に、将軍・家重襲封祝賀のため鞆の浦に訪れた第10次朝鮮通信使(正史/洪啓禧)。往路では不手際があり、通信使は船上に宿泊したとされる。7月10日復路【問6】宿泊。通信使は夜景を多いに楽しみ、瀬戸内の多島海を眺望出来る客殿を「対潮楼」と命名した。 <大波止・雁木の歴史>
<鞆の浦の歴史>
以下:回答三択
【問1】A:静観寺・七堂伽藍/B:小松寺/C:福禅寺 |
◎「鞆の浦検定」登録商標申請中
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【主 催】
『鞆の浦検定』では、協賛と称しての現金・景品・割引券・招待券・優待券などは一切お断りします。
主催者:Think鞆の浦/深藤(ヒマラヤデザイン)がすべてを負担し、運営しているプロボノ活動の検定 です。
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